穴門山神社は、朝廷崇敬の神社で、社格は「式内社」。 式内社とは、延喜式の巻9および巻10の「神名帳」に列する神社のことで、社格を権威づける官社となっている。
延喜式は平安後期の延長5年(927)に撰上され、50巻から成り、朝廷の儀式、行政の実施に関する規範である。当社は延喜式巻10に、備中国18社の中にその名があげられ、朝廷崇敬の神社であったことは事実である。
当社の創立は崇神天皇54年と言われているが、延喜、延長の時代この神社は、備中国下道郡長田山と記されており、その地名にまつわる神々の伝説も多い。倭姫世記という古書によると、崇神天皇から、天照大神のご神体である御鏡を、「何処へおまつりしたらよいかさがしてきなさい」という命を受けた豐鋤入姫命が、紀伊国奈久佐浜宮から備中国名方浜宮(現在の穴門山神社)へ奉遷し、4年間奉斎したと記されている。朝廷の当社に対する崇敬の篤かったことがうかがえる。
祭神は、天照大神、倉稲魂大神(豊受大神ともいう)、そして日本武尊の第2皇子足仲彦命、吉備武彦の娘で日本武尊の妃である穴門武姫命の4柱を併祀している。
社殿は寛永9年(1632)秋焼失したものを、備中松山城主の池田出雲守長常が、寛永14年(1637)再建寄進した。権現造りの建築様式で、特に本殿妻側は懸魚、虹梁、支輪、斗きょう組(斗組)で装飾性が高く、余り県下にその例がなく県指定文化財である。
周囲の社叢は、県指定の天然記念物であり、昭和5年10月、京都大学、田代善太郎先生の調査によると、438種の植物が記録されており、その種類の多いことで注目されている。神木のカツラは、樹齢推定700年、株周囲8.93メートル、樹高30メートルである。
神木は本門そばの石段上の大杉と、境内崖下のカツラである。